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2021年8月7日土曜日

魔女の宅急便の原作4巻のとんぼさんの手紙が全男子に読んでほしいくらい好き。(小説・感想)

 うーん、なんだこのタイトルは。

まあでもそのままです。

まずは魔女の宅急便原作のとんぼさんというのはどういう人物なのかを軽く紹介しておきましょう。

あ、もちろんネタバレ多いです、ご注意を。


・キキより1つ年上

 少なくとも5巻にははっきりと書かれています。

・1巻(キキ13歳)のときキキがちょっとほうきを放置していたすきに盗んで飛ぼうとするも当然失敗、キキに怒られる

 結構反省してます。それと同時に興味津々です。

・キキの仕事を手伝ったのをきっかけに仲良くなる

 電話したり家に来たりまあまあ積極的です(でもこの時点ではまだ友達です)キキに対して「さばさばしていて話しやすい」というのですが、この一言にキキは悩むことになります。

・飛行クラブに参加している

 キキと出会った時、いや多分出会う前からずっとですが、飛ぶことというか自分の理解を超えた現象への興味が尽きません。似たような仲間とつるんでいます。

・2巻ではキキのおしゃれな友達であるミミさんと仲良く談笑しているシーンがある

 別に特に恋仲というわけでもなく、とんぼさんは意外と普通にコミュ力が高かったりします(?)。それを見たキキは無意識の嫉妬からとんでもない行動に出ます。ここらへん、一番読んでで胸が痛かったです。

・3巻ラストで遠い町の技術学校へ

 昆虫について研究したいということで、ここから一気にとんぼさんの興味は昆虫へ向かっていきます。30代になった最終巻でもずっとそうです。


…と、ここまでのことがあっての4巻、タイトルは「キキの恋」です。

4巻、5巻はとんぼさんが学校に行っているのでずっと遠距離恋愛です。

たまに会うけどほとんど手紙でのやり取り。そこに良さが詰まっていると思います。


ここでとんぼさん視点の話を想像してみます。

一応三人称の物語ではあるのですが、ほぼキキの視点で話が進んでいます。

(唯一5巻ラストの方でとんぼさんの学校での姿が一瞬だけ書かれていてそれが印象的ではあるのですが。)


まず、1巻の出会いの時、とんでもないことを言ってます。

飛行クラブの活動としてほうきで飛ぼうとしていて、きょう「も」キキ(というかオソノさん)のお店の前にいた、という。

出会う前から気になりっぱなしですね。自分にはできないことができるという点で。

そして出会ってキキに怒られます。

怒られたけど最後には笑ってくれたし、顔を覗き込まれた時にはやっぱりドキドキしたのかなーとか思ったりします。(照れくさそうと書いてありました)

後日、キキに仕事について相談されて助けることができた時にはかなりホッとしたのではないかと思います。

というか、ほんの少しだけキキへのコンプレックスが解消されたのではないかと。(ここが肝心の4巻の手紙にもつながります)

それからキキと仲良くなっていきます。

大体各巻のラストの方で2人にとって重要な出来事が起こるんですよね。

1巻ラストではキキが町に来て1年ということで帰省、その直前にとんぼさんがキキにポシェットをプレゼント。これは半分くらい告白です。でもまだはっきりとは言いません。(私としてはこの時点で好きということは自覚しているのではないかと思っています。)

2巻ラストではとんぼさんが風邪をひいて、キキがくすりぐさを届けてくれます。とんぼさん的には優しいなあ、くらいな感じだったかもしれませんが、これがキキがもう一つの魔法(薬)を覚えるきっかけになるというそこそこ重要な話です。

3巻ラストではキキが「とんぼさんがすき」と自覚します。そして、とんぼさんが技術学校に行く前にキキと2人きりで会って、そこで「キキもどっかに行っちゃう?」と聞きます。キキが否定すると嬉しそうにします。案外この時にもう、ずっと一緒にいたいと思っていたのかもしれません。ではなぜ遠くに行くという矛盾した行動に出るのか。その答えは4巻の手紙(この記事のタイトルの)にあります。

4巻ラストでは唯一とんぼさんと関係ないエピソード2つで終わります。しかもこれがなかなか凄い話。キキの恋、という巻なんだけどそうやって締めるのが印象的。

5巻ラストではとんぼさんが学校を卒業したことで2人が結婚へ一歩踏み出し、6巻では2人の子どもたちの話がメインではありますが、子どもの旅立ちを見送る2人の姿もなかなかいい感じ。


…というわけでやっと4巻のとんぼさんの話になります。

学校に行ったのは一つには自分探しの旅みたいな意味合いがあったのではないかと思います。もちろん現実的に将来を考えてるとかもあるだろうけど。

キキというわけのわからない存在に出会ってしまって、なんで自分は飛べないんだろうとか考えて、それでも自分にできることを探そう、という。

さらに夏になると雨傘山という山にこもって生活を始めます。キキからすると帰ってこないで自由に楽しくやってる、というふうに見えますが、手紙にある通りこの時もどこかに焦りを感じていたのではないかと思います。

雨傘山の夜の暗闇の中で息を潜めているうちに、ふと、キキだけが特別というわけでもなくて、この世界は不思議なことでいっぱいなんだ、と気づいて、初めて本当に「キキのことが好き」と思えるようになります。

ここの手紙での告白、これほど美しい告白の仕方があるのかと思って呆然としました。

もう少し抽象的に誰にでも当てはまるようにいうと、「君が特別で凄い人間だと思ってコンプレックスに感じて焦っていたけど、きっと自分にもそういう特別な部分があるはずだと気づけたから、初めて対等な同じ世界の人間として好きだと思った」という感じですね。

(こう言ってしまうと文章が固くてアレですが、まあとにかく美しい文章ですよ。というわけで気になる方は読んでください。)

相手のことも素直に認めるし、自分にも自信を持つ、ということが大事なのではないでしょうか。

この手紙の中くらいでしかはっきりと明かされないとんぼさんの内面の葛藤、そして全体を通してゆっくりと成長している感じ、着目してみるとなかなかいいものです。


魔女の宅急便は小学生に読んだきりで、久々に読み返した感じだったのですが、今見るととんぼさんが不器用ながらいい男なんですよ(何目線)

小学生の時に感じた、「キキが凄く輝いて見える」現象、とんぼさんのおかげでもあったんだなあと感じたり。(今見るとあー悩んでるわーという印象が強いですが、当時はキキが輝いて見えたしとんぼさんに一切注目しておらず他の脇役の方がずっと印象に残っていました)

というわけで別の記事で個性的な脇役たちについて一言ずつ書こうかしら。

あ、なんか後半改行しなさすぎててすみません。

とりあえず今回はこんなところで終わりです。

2021年1月17日日曜日

『生まれる森』(島本理生) 感想とか考察とか

ネタバレ多めなので注意です。

気になったことについて色々書いていきます。主観多めです。


◆3兄弟の名前とか性格とか

雪生、キクコ、夏生の3人との交流が(回想を除く)話のメインになっています。

こうしてみると、挟まれているキクちゃん(キクコ)というのは秋のイメージなのではないかという気がしてきます。

冬、秋、夏の順番。

これも意味があるのではないでしょうか。

サイトウさんと付き合っていたのは冬。話の舞台は夏。

冬は心の傷の象徴、夏はそれを癒してくれるものとかエネルギーとかの象徴として描かれているように思います。

兄弟を見ると、母と過ごしていた時間の長かった雪生さんが最も傷ついていて、キクちゃんはそれほどではないけれど多少悩んでいて、夏生君は(あまり登場しないというのもありますが)基本的に元気な男の子として書かれています。

そう考えると、「わたし」がこれから恋愛をするであろう相手の雪生さんは無条件に自分を癒してくれる相手ではないわけです。(別に名前のことがなくても明らかにそうですが)

冬を知っていながらそれを乗り越えられる、抜け出せる、みたいなのが話のテーマなのではないでしょうか。

ストーリーの最後の方では夏が終わって再び涼しくなってきていますが、「わたし」は去年よりは冬を平気だと思えるようになっているはずです。


◇作中に登場する音楽

作中、映画と音楽が色々と出てきます。…が、映画のことはよくわからないので音楽について考えてみます。

キクちゃんが聴いていたヴェルヴェットアンダーグラウンド、聴いてみました。

細かなテンポの揺れやアレンジが繊細でありながら力強い印象を受けました。

あとは、夏生君が歌った歌の中にサイモン&ガーファンクルの『冬の散歩道』があったのがなんかいいなあと思ってしまいました。

古い洋楽が持つ独特な情緒を表現している感じもさることながら、この話全体が持つ雰囲気にどこか合っている気がしました。

サイトウさんとの思い出の冬とか森とか枯れ葉を思わせる感じ、「森を抜け出す」というテーマ。

歌詞の 'It's the springtime of my life' というフレーズが、3兄弟の名前にはない「春」の存在を補完してくれているようにも感じたり。

キクちゃんの方の一家もそうですし、「わたし」もですが、このあたりのエピソードが同年代と気が合わないことを象徴している気がしますね。

「わたし」はサイトウさんと付き合っていたし、キクちゃんはお店で働いていた時に無理して話を合わせられるよりも自分の知らない昔の話をされるほうが好きだったし、夏生君はちょっと年上の人たちとバンドを組んでいるし。

(私自身が70年代とかの曲ばかり聴いているので、この感覚、めちゃくちゃわかります)


◆女の子同士の友情

作中、キクちゃんとのエピソードがたくさん書かれています。

島本さんの小説は数作しか読んだことがないのではっきりとは言えませんが、基本的にあまり女性同士の関係は描かれていなかったり、描かれていたとしてもネガティブな書かれ方をしていることが多いように感じます。

そんな中で、この作品では女の子同士の友情が温かく描かれているのが一つの希望になっているのではないかと思います。

女友達が「わたし」しかいないというキクちゃんに対して、それなりには友達がいそうな「わたし」。

けれど、やはり「わたし」にとってもキクちゃんは特別な友達なのではないでしょうか。

高校時代はそれほど親しくなかったけれど唯一妊娠を打ち明けたり、大学に入ってからはよく連絡を取っている様子だったり。雪生さんとの恋のキューピットでもありますし。

高校時代は一生の友達と出会えるとよく言いますが、その高校時代のうちは誰が一生の友達になるかなんてわからないのではないでしょうか。大学以降、気づいたら連絡を取る相手が減っていて、意外な人と関係が続くという。

それから、小学校の頃友達だった彩ちゃんという子も「わたし」以外に友達がいなかったという話がでてきます。

「わたし」は孤独な女の子を安心させる何かを持っているのではないでしょうか。

(それと同時に不安にもさせてしまう一面も持っているように思います。そこが難しいところですが)

あとは加世ちゃんも出てきますね。特別深い関係という感じはしませんが、ラストシーンでも一緒にいるのが何となく明るい未来を予感させます。


◇サイトウさんと雪生さんの共通点と相違点

作中、サイトウさんと雪生さんはあえて似た人物として書かれているように思います。

二人とも眼鏡をかけているのなんかそうですよね。

だからこそ、最後の方で雪生さんが眼鏡を変えていることが意味深に思えてきたりします。

サイトウさんに対しては「十年も二十年も一緒にいるなんて冗談じゃない」と思っていますし、書いてはいませんが恐らく同じ眼鏡をしているところしか見たことがないのに対して、雪生さんは眼鏡を変えたところを見ることができた。

たったそれだけのことですが、長いスパンでの付き合いを考えるうえで大事なことなのではないでしょうか。

……まあ、眼鏡を変えるとシンプルに印象が変わるというのもありますし。雪生さん自身の変化の象徴としても書かれているように思います。

あとは、家族との関係に問題があったところも同じですね。これも同様で、雪生さんは最後に乗り越えています。

さらにいうと、二人とも堅実な職業というか真面目そうな雰囲気というか、そういうところも似ているかもしれません。島本さんの作品全般に割と共通している気もします。

あ、喫煙者というところもですね。ただ、雪生さんに対して「めずらしくおいしそうに煙草を吸う人」と書いてあるように、やはり雪生さんの方がポジティブに描かれています。


◆「サイトウさん」という表記の違和感

よく考えたらキクちゃんもカタカナではありますが、雪生さんも「キクコ」と呼んでいるので特に違和感はありません。下の名前ですしね。

しかし、サイトウさんについては、きちんと「斎藤先生」という表記が出てきます。同じ予備校の先生がそう呼んでます。

序盤の方から積もってきた違和感がここでワッと迫ってくるような気持ちにさせられます。

「わたし」にとっては「サイトウさん」だけど、客観的に見たら予備校の斎藤先生なのだと突きつけられるのです。

……よく考えると、さん付けで呼んでいることがそもそも結構おかしいんですよね。


◇ラストシーン

最後についている解説でも、島本さん本人が厳密にはこれは恋愛小説ではないかもしれないと言っている通り、雪生さんとは恋愛関係にならずに(なる前に?)終わります。

雪生さんたちのお母さんの話について具体的な描写がないまま終わりますが、そのおかげでさっぱりした読後感を味わえるのかな、と思ったり。

ラグビーの試合観戦のシーンは、相手の大学が勝ったら一緒にタイのプーケットに行く、自分の大学が勝ったら嘘をつかないと約束してもらうということで、お互いが相手の幸せを願っているようで、希望が感じられてなかなか好きです。


◆タイトル「生まれる森」の意味

自らの出生と関係するところ、幼少期の家族との記憶の中にある暗い部分が「森」を生み出してしまう、人はさながら森の中に生まれたようだ、という意味。

「わたし」のように、後天的に、特に異性との関係の中で傷ついて「森」が生まれる、という意味。

どちらもあるのではないかと思いました。


こちらも書いてます→ 島本理生『あられもない祈り』について考える

1年半前に書いたので今見ると若干ノリが子どもっぽいかも……。

2020年7月22日水曜日

【小説】『女王の百年密室』(森博嗣)の世界を考察する

かなり前にこのシリーズの最終作とされている『赤目姫の潮解』について書いたのですが、こちらについては(規約的に)書きづらくて放置してました…。

で、今回、ストーリーの内容というより設定とか世界観について思うことがあるので書いてみます。

小見出しが一見意味不明ですが…、いきます。



エネルギー問題が解決している世界

小説の解説には、「安全で小型な原子炉のようなものが存在する世界」みたいな感じで書かれていたと思います。

2011年にあんなことが起こらなかったら、という世界であると。

本編にははっきりは書いてありませんが、確かにエネルギー問題で特に苦労している様子はなさそうです。

(施設の耐用年数がギリギリという話はしていますが、それはまた別なのではないかと思われます)

同様に、環境問題も特に深刻な様子はわかりません。世界全体でどうなのかは微妙ですが。

この時点でおそらく100年後も実現不可能な世界です。



性別ですらプライバシーの世界

女王の百年密室(と次作の『迷宮百年の睡魔』)では、世界全体で人権とかいろいろな少数者への配慮がとても進んでいるように思われます。

というか、もはや「少数」とかではなく「性別すらプライバシー」なのです。

100年後に人類がそこまで割り切ることができるのでしょうか。

私はやはり実現しない世界だと思います。




人と人が会える世界

これは2020年にならなければ気づかなかったことですが、

「紙の本は基本的に存在しない」ほどデータ化が進んだ世界でこれほど人と人が直接会っているのは実は奇跡なのかもしれません。

そもそもミチル自身わざわざ遠くから来ていますし(アキラも?)、ルナティックシティ内でも人と会って話をしているシーンが印象的です。
(脅してまで女王の寝室に行くシーンとかは特に)

小説だからそのほうがドラマチックだよね、というのももちろんあるとは思いますし、エネルギー問題が解決していて今よりもさらに簡単に、気軽に海外にも行ける状態ならおかしいことではありません。

(いや、そもそも人同士が直接会うのは小説でも現実でも本来普通ですよね)

でもやっぱり、今みたいななんでもリモートで、オンラインで、という時代が来てしまうと、改めてその凄さに圧倒されるわけです。

漫画版も併せて見るとわかりますが、マノ・キョーヤとミチルの気まずさとか、サラが復讐(?)しにくるところとか、王子が長い眠りにつかされることになった理由とか。

未来的なSF的な世界なのに、現実よりもずっと人と人が精神的にも肉体的にも心からぶつかり合っている実感を持っているように思います。

あ、そうそうこれ結構恋愛小説ですよね。

(平安時代とかの物語に似たものを感じるのは私だけでしょうか。
ロイディが女房で、ミチルが内向的な主人というイメージ)



閉じた世界の限界

ルナティックシティでは情報が制限されています。

本来(古来の?)、人間が知っている情報なんてわずかなはずですから。

ただし、この世界では「制限」されているだけで、その気になれば膨大な情報に触れることができてしまうはずです。

住人たちは幸せなのでしょうか。

まあ、そういってしまうとわかりませんが、「人口は減る一方」というのが答えではないでしょうか。

激しい苦しみや痛みはそもそも教えられて育っていないから(自分に対しても他人に対しても)残虐なことをしてしまう人間は基本的にはいないけれど、その代わりに穏やかに「長い眠りにつく」ことを選んでしまうのではないでしょうか。

人間は何らかの危険と隣り合わせだからこそ生きようとするのかもしれません。

あとは施設の耐用年数とか、街の存在を周りに対して隠しているとかも書いてありますね。

ファンタジー的に書かれてはいますが、そういうところを現実的に考えるとそうそう甘いはずがありませんね。

あと気になったのは人数の少なさですね。

目覚めている150人というのは、ほぼ、お互いが顔を見合わせて認識し、話し合える最大の人数と同じです。

おそらく住民同士は(基本的に)全員認識し合っているのではないでしょうか。パーティーの時には全員集まることも可能でしょう。

その人数だからこそ普段の生活がうまく行くと同時に、子孫を残して何世代も生きていくには人数が少なすぎるわけです。

そこらへんも含めて「クロウの代にはこの街は終焉」なのではないでしょうか。



現実は反対の方向に進んでいる

ここまで見てきたように、実際の現実とは異なる点が多くなります。

解説にもあった通り、総合的に見てifの世界なんだなあ…と思わされますね。


同シリーズの『赤目姫の潮解』の考察→https://hana00000.blogspot.com/2018/09/by.html

2019年8月18日日曜日

島本理生『あられもない祈り』について考える


普段適当なノリでゲームの話ばっか書いてますが、こうやって思い出したようにセンチメンタル(?)な話を書いていくスタイルです。

色々規約に引っ掛かりそうな内容なのでオブラートに包んで書いていきます。


※結論から言いますと、自分が子供すぎて色々無理でした(成人してるけど) 支離滅裂なのは気にしない。そもそもそういう物語だ(※誉め言葉です)

・女性登場人物について

一応同僚はいますが、ほぼモブとして登場しているだけなので、
実質主人公の他に母親と「彼女」しかいません。

本のレビューとか見ててもこの主人公には女性の友達がいないのか?みたいなのがあったりします。まったくその通りです。
そこで、そこら辺について考えていきます。


まず、母親は非常に重要です。
作中で主人公は同性の体が苦手と言っていますが、少なからず原因は母親のはずです。
仕草一つにも寂しさを滲ませ、フラフラと恋愛に依存してしまうにも関わらず、自分が女であることをどこか否定しているのです。

母親=女の嫌な部分であり、潜在的に母親と同じものを持つ自分をどこかで冷静に自覚し、母親に対して同族嫌悪を抱いています。
もしも「あなた」と暮らしてしまったら、「私」は母親と同じ道をたどっていたかもしれません。

自分を愛せないから、同性である女性を好意的に見ることができないのではないかと思います。

逆に、「彼女」は「私」や母親とはある意味対極にいる存在なので、物語の最後に雰囲気が「彼女」っぽいな、と思う人物を電車で見かけても、当たり前ですがそういう思考には至りません。

ただ、自分も「彼女」もお互いに意識し合っていたことに思いを馳せます。


・父親について

私は個人的に、女性が精神的に安定するために一番大切なのは、幼少期に父親に愛されていた記憶があることだと思います。
主人公がこれほど不安定なのは、ある意味父親のせいだと思うわけです。

物語の中で深く描写されているのは母親の方だし、確かに母親を意識しているんだけど、この父親の存在がずっと流れている感じ。



・全体の流れ

改めて見返してみたのですが、



三年前「あなた」を振る
→「あなた」の婚約を知る&再会する
→母親と話しているときに直樹との結婚を提案される
→「あなた」の別荘に行ったのをきっかけに仲を深める

→直樹と色々あった中で「あなた」への好意に気づく
→直樹と別れて「あなた」と付き合う
→「私」から別れを切り出す
→直樹が来る
→結局「あなた」と別れる

という流れになってます(雑すぎるあらすじ)。

…あれ?もしかして直樹がいなかったらかなり違う行動してたんじゃない?…っていう。

「あなた」がいなくても直樹と別れていただろうし、直樹がいなくても「あなた」と付き合っていたかもしれないけど、明らかに2人への感情が相互に影響し合った結果として行動しています。


特に直樹と別れた後、本当はしばらく期間があったように思いますが、文章が簡潔なのでノーモーションでいきなり「あなた」の元に転がり込むように付き合い始めているように錯覚してしまいます。

そして、別れへの一連の流れ、「彼女」の存在が圧倒的に大きいのはもちろんですが、「あなた」も結構直樹に嫉妬しているよなあという。

「あなた」本人からしたら正しいことを言っているつもりなのですが、客観的に見ると嫉妬です。自覚がない分怖いんです笑


あと気になったのが、文庫本だとp.107のところで、一回だけ「あなた」が「彼」になるんです。


自主規制)なシーンなのですが笑、だからこそあえて変えているのかもなあと思います。もしかしたら深い意味なんてないかもしれないけど。


・ラストシーンとその後

「私」はラストで目を覚ましました(「あなた」の存在によって自分に目覚めました)。「あなた」の周りの状況や精神状態を、自分がどうにもできないことをただ受け入れ、「石の体に戻ってしまいそう」と言いながら生きていくことに決めました。

「あなた」とこの後復縁するかどうかはわかりませんが(個人的にはしないと思います)、「私」(主人公)のなかでは感覚的に「あなた」と再会するビジョンも見えています。
ただ、わかっているのは、もう、他の人と軽い気持ちで恋愛はしないだろうということです。

案外、こんなことを言っていてもさらっと結婚相手を見つけるかもしれない、だけどそれは論理的に考えてただ選ぶだけ。
「あなた」を愛しているからこそ他の人に抱かれても構わない、だけどもう何も感じない。



「あなたは私の中の海をさらっていってしまった。それは一生あなたのものだ。」

(本文より引用。文庫本ではp.163)


物語後半になるにつれて印象的なフレーズが増えていきますが、その中でも一番の名言だと思います。

私の中の海ってなんやねんっていう。
だけど女性なら誰でも持っている(あるいは持っていた)んじゃないかと思います。

肉体感覚と連動する細かな精神の波みたいな。



・最後にその他色々

私はこの話を中学生で読んで(しまって)、当時は今以上に何言ってるのかわからなかったし、恋愛ってそんな恐ろしいものなのか...?と考えさせられたりしました。

何が凄いって、シチュエーション的には何一つ共感できないのに、なぜか主人公の感情に対して「あーわかる…」ってなってしまうことです。

これが、解説の西加奈子さんの「恋愛する個々ではなく恋愛そのものを書いている」ということなのかなと。


 
名前を呼ばれるたびに、私は逃げるように目を閉じた。

(文庫本p.108より)

これですよこれ。
名前を呼ばれたくないって冷静に考えて恐ろしくないですか?

そしてこの文の直前の、「一度も微笑まなかった」もかなり怖いです。



ストーリーを楽しみたいのではなくただ深い世界に浸りたい方、どうぞ。

島本さんの他の作品(『生まれる森』)の感想的なやつ↓

2018年9月16日日曜日

【小説】赤目姫の潮解by森博嗣 ただの入れ替わりネタのスケールの小ささを感じた。


私が以前言葉とか日本語というものに目覚めた時期があり(中二病?)、一度だけ購入したユリイカの特集が森博嗣さんでした。 

そして、ミステリィかー、昔は好きだったけどもう興味ないな、と斜め読みしていた中で、唯一あらすじを見て興味が湧いたのが百年シリーズ。 
(読んだことある人にはわかると思いますが、森さんはカタカナ語の表記が独特かつ正確なので今回はこれでいきます)

 シリーズは全3作、1作目から順に女王の百年密室、迷宮百年の睡魔、赤目姫の潮解です。 

百年というのはロマンチックなようでいて、よく考えると現実的で生々しい数字ですよね。 単純に長い時を表すなら千年の方が一般的ですし。 

そこからも想像できるように、SFと見せかけて現在と地続きになっているような、独特な世界観が出来上がっているのがシリーズ全体の特徴です。

3作目の赤目姫の潮解の文庫本の表紙はこんな感じ↓


(画像は実物の本を自分で撮影したもの)

なぜいきなり3作目を紹介しているのかというと、他2作と比べて明らかに異色だからです。

様々な場所に書かれていますが、それまでの登場人物が出てこない、ストーリーが一見複雑難解(幻想小説のようにも読めると言われています)など。





意識は混信する

この話では、赤目姫の周りで意識の混信が起こります。

自分の思考回路を保ちつつ、他人の目を通して世界を見る。

体がそのままで精神が入れ替わるわけではありません。

もっとフラッとした感じで、一瞬だけ他の人の身体を借りるイメージ。

視力がいい個体を近くて探して…、なんてことまでしているシーンもあります。

自分は自分であるまま、時に自分が他人に、他人が自分になり、境界が曖昧になっていきます。


このエピソードは人間のアイデンティティの崩壊を意味しているように思います。
個人としても、種としても、です。小さいようで壮大です。

なぜなら、人間の一番のアイデンティティはおそらく、自分だけの思考を持っていることだからです。


そもそも生きていること、自分が自分であること、物が見えていることに意味はあるのかという疑問。

自分のものだと思っている意識という「信号」はただ気まぐれに操られているだけかもしれないということ。

登場人物はそういったことを考え始めます。

これは、一つには、人間一人が生み出せるものはごくわずかであることを表しているのではないかと思います。
穿った見方ですが。

自分が今考えていることはほとんど自分で考えたことではありません。

他人が過去に考えたことの影響を受けています。

それが何らかの媒体を通してではなく、「意識」という曖昧なものを通して直接行われたら、という仮定を書いているのではないかと。


「意識が混信する」というのは、例えば、魂がさまようというような、純粋なファンタジー世界にも実は存在するといえばしますが、これはそれとは異なります。

膨大な過去が蓄積した結果(=現代から見て未来の世界で)、人間とか個人という枠をこえて新しいステージに到達したということだと思います。

(…と書きましたが、舞台設定が20世紀のように読み取れる描写もあります。未来とか過去ではなく、そもそも時間自体が切り離された世界なのかもしれません。「そもそもジャズが50年前からあったのかわからない」みたいな信じられない一文もありますし)



赤目姫とは何者か

本文中でも考察されていますが、デバイスのような存在か、または私たちの世界の人間にとっての神(人間を操る存在)だと思われます。

少なくともシンボル的な存在であることは確かです。

彼女は普通にしゃべるということをしません。音を発しているのか発していないのか微妙なところですが、とにかく唇の動きで周りの人間にすべてを伝えてしまいます。

人の脳に直接信号を送っているのでしょうか。

赤目姫の過去(?)のエピソードがありますが、寂しかったからこの世界を作ってしまった、そして一部の、自分たちの生に疑問を持ち始めた人間を選んで世界を俯瞰する側に連れ込んだ(ラストシーンその他)ようにも見えます。


◇なぜ赤目姫の「潮解」なのか

潮解をスマホで変換しようとしたら出てきませんでした。まあ化学用語ですからね。

潮解が起こるには固体と水が必要です。

この場合おそらく固体にあたるのは赤目姫だと思います。水にあたるのが周りの人間たちです。

とすると、周りの人間が赤目姫に引き寄せられて行って、新しい状態(=水溶液)になるということでしょうか。

そして、その新しい状態というのは、元々別の存在だったものが、区別がつかなくなってしまった状態なわけですね。確かに水溶液だとそれと合います。


最後に

頑張ってそれらしい(?)ことを書いてみましたが難しいですね。

読者一人一人の勝手な考察が答え、みたいな気もします。

普通の小説の感覚で読むと
大変ですが、雰囲気に浸るのにいい一冊です。

特に詩のようなパートは視覚的にも美しいです。


こちらもどうぞ↓
シリーズ1作目『女王の百年密室』の世界を考察する:https://hana00000.blogspot.com/2020/07/blog-post_22.html


2018年8月25日土曜日

【アニメ映画】【小説】ペンギン・ハイウェイ 私が個人的に映画以上に原作小説をおすすめする理由


森見登美彦さんの作品を紹介するのは【小説】【アニメ】四畳半神話体系/森見登美彦に続いて2作目になります。

ちなみに私は今のところ映画は見てません。そのうち見るつもりですが。

テレビCMの印象だけで本編を勝手に想像してます。

というわけで、映画と比較するというより、いかに原作が素晴らしいかについて語ります笑 

以下いつも通りネタバレ多め↓ 

 小説の特徴

まずはタイトル通り書いてみます。一応ですが。

独特の一人称の語り

映画でもある程度再現されているとは思うのですが、やはり本一冊となると文章の量と内容の濃さで圧倒してくる感じがあります。

四畳半神話大系などほかの作品では、主人公は主に男子大学生。名前は明かされず、「私」とだけ出てきて、脳内で屁理屈ばかり言っている。

それに対してペンギン・ハイウェイはかなり異色です。

主人公は男子小学生のアオヤマ君、ヒロインは近所の歯科医院のお姉さん(ヒロインに関しては微妙に通常運転っぽさあります)

しかも、男子大学生の主人公と違って凄く純粋だし希望にあふれてます。

でも、読み進めていくうちに、大学生と根本は変わらないというか、同じように引き込まれて行きます。

観察眼の鋭さとたとえのうまさが特徴なんじゃないかなと思います。

ペンギン・ハイウェイでは缶がペンギンに変わる瞬間を観察記録的に詳細に描写したり、お姉さんの寝顔を見て不思議な気持ちになって心の中で悶々としたり、そもそも小説全体が少年の日記という設定だったり。(本当にこんなに文章を書いたら恐ろしい小学生ですね)

まず、最初からいきなり自分がいかに努力しているか、素晴らしい小学生かについて語り始めちゃってます。

個人的にここの文章が最も好きです。プロローグみたいなものです。

このプロローグは章として区切られているわけではなく、「ここまではためし書きである」という一言によって唐突に終わります。

ここらへんで「え、何なのこの子?! やっぱりただものじゃないな」みたいになります。

自分の住む街について、お菓子みたいなカラフルなかわいい家がたくさんあると言い、将来自分がどれだけえらくなっているか想像がつかないと平然と言い切り、お姉さんが作り出す動植物の細かな描写、登場人物たちの見た目のユニークな紹介、クラスの意地悪な子にひどい目に遭わされているときでさえ冷静に観察と分析をし、...と挙げるときりがないです。

映画でもそういうのは見られるとは思うのですが、小説がそれのフルバージョンということになると思います。


それと、印象に残っているのは小学校のクラスでの人間関係ですね。

小学生にしてすでに四角関係(?)かなんかになっているのですが、アオヤマ君はちょっと疎いので、皆の態度をこれまた詳細に書いた上で、なんでなのかわからないなんて言ってますからね。

普通の人なら表情や態度で何となく読み取って終わり(=作品の登場人物に関しても、映像で見た方が伝わる)のに対し、アオヤマ君はここでもしっかりした文章にして考察したがるので、小説で読んだ方がニヤニヤできます。多分。

登場人物の名前、表記など

アオヤマ君というのを見ればわかると思うのですが、この話の登場人物は全員カタカナで書かれ、下の名前が一切出てきません。

このカタカナ表記がファンタジーっぽさを強めてくれてます。

小説でしかわからない一番の特徴かもしれないですね。

ちなみにお姉さんに至っては苗字すら明かされません。

やっぱり名前がない方が感情移入できるんだなあと再認識しました。

大学生の作品では、主人公のしがない生活に感情移入するのがメインだから主人公の名前が明かされてないし、ペンギン・ハイウェイではアオヤマ君のお姉さんへの憧れが原点としてあるからそれを強調している、みたいな。


それに加えて、これは森見登美彦さんの作品全般に共通することなのですが、文章が途切れるところでただ1行とか2行空けるのではなく、なぜか○を入れます。

これ、意味わからないんですけど落ち着く気がして好きです。

一息つけるんですね。


 内容を考察してみる

いつも通り好き勝手に書きます。 

こっちの方が長くなりかねない笑

お姉さんは何者で何を考えているのか

アオヤマ君は〈海〉を世界の壊れた部分で、お姉さんとペンギンはそれを直しに来たと考えています。

あれな言い方ですが、世界はプログラムで、お姉さんはデバッカー、ペンギンはデバッグ用プログラムって考えるとなんかわくわくします笑

あとは、お姉さんは日曜に教会に通っていて、アオヤマ君と「神様を信じるか」みたいな会話をしているシーンがあるので、神の使いのようなものなのかもしれないとも思います。



一番の謎はお姉さんがなぜ自分の正体を知らないか、ですね。

知っているのに知らないふりをしている感じも特にしないし。

それに、お姉さんは自分の子供のころの記憶を持っています。

考えられるのは、

・地球で一時的に暮らすために記憶・人格を与えられている
・実際に幼い頃から普通に生活していた人間であるが、壊れた世界を直す人として選ばれてしまった

のどちらかかな。

最後にはいなくなってしまうし、話の中での流れも前者の方がそれっぽいですね。

どっちにしても日常の中のファンタジーからは大きくかけ離れてしまうので、答えが明かされることはないんだろうなあ…と思います。



お姉さんが何を考えているのかについては、原作を読んだ小学生の時からずっと気になってます。

改めて読み返してみると、辛そうにしてる場面多いですよね。

〈海〉が小さくなると体調が悪くなるという設定のせいでもありますが、〈海〉を壊すために自分の地球上での生を犠牲にしなければならないなんて辛くないはずがないです。

特にラストでカフェでぼーっとアオヤマ君を待っている場面。

この時になって初めて、人間とは分かり合えない寂しさや、その中でアオヤマ君だけが自分を理解してくれていることをお姉さんが本当に自覚したような感じがします。

序盤、中盤とずっとアオヤマ君の片想いっぽいのに、最後でお姉さんも精神的にアオヤマ君に頼ってたんだな、と気づかされます。

アオヤマ君の成長

先ほど紹介したプロローグは、エピローグでもほとんど同じ文章のまま使われます。

だからこそちょっとした変化、特にラストの何文かが凄くきわだって見えます。


アオヤマ君は頭がいいのですが、最初の方では頭でっかちな面があります。

お姉さんやクラスメイトとの唯一無二の体験の中で、実際の体験と文章は全く違うということを学んでいき、たくさん書いているノートの中ではなく現実に生きる少年になっていきます。

だから映画だと後半の方が映像とアオヤマ君のセリフが合ってきて盛り上がるんじゃないかな。

超個人的には、原作の表紙みたいにアニメっぽくないタッチで、前半は静止画多めでラジオドラマみたいな感じにして、後半でアニメ!!っていうのを押し出したような映画を見てみたいです。


愉快な脇役たち

大きく、変人とまあまあ普通の人に分けられる気がします(適当)

変人→アオヤマ君、アオヤマ君のお父さん、お姉さん、ハマモトさん
普通の人→ウチダ君、スズキ君たち、アオヤマ君のお母さんと妹

みたいな。

特に、スズキ君→ハマモトさん→アオヤマ君→お姉さんとかいう一方通行の恋愛相関図(?)が存在するので、中立的なウチダ君がめちゃめちゃバランスとってくれてます。(逆にそれ以外のみんなのキャラが濃すぎる)

ハマモトさんはお姉さんに嫉妬しているせいで「あの人信用できない」とか言い出すし笑

ただ、大人の恋愛と違ってドロドロしてないし、小学生のノリというか、ほほえましいです。


 まとめ

四畳半神話体系と比べてほぼこっちでは書いていませんが、森見さんのストーリーの特徴はアホワールド(?)と言われていて、登場人物たちが基本的に頭がいいのに知性を無駄遣いしていることです。

大学生主人公だと、大学生の間しかしないようなバカ騒ぎとかになるのですが、ペンギン・ハイウェイでは小学生らしい純粋で懐かしいエピソードに全振りしているので爽やかなテイストになってます。

私は文庫本を持っているのですが、あの小さくて密に詰まった字を見ているとなんだか宝物に触れている気分になります。

2018年5月27日日曜日

【小説】【アニメ】四畳半神話体系/森見登美彦


この作品を知ったのは高校生の頃ですが、自分が大学生になってから見返すと感慨深いものがあります。

冴えない大学生が、もっと自分には別の可能性があったはずだ、と模索し続け、最後になってやっと自分の現状を受け入れ、楽しむようになる、という物語です。



登場人物について簡単に。



主人公です。
名前は出てきません。
同じ作者の『恋文の技術』では、主人公「私」の名前が森見登美彦(作者名)となっているので、ここでもそう考えてよいかもしれません。
地の文では「私」という一人称を使っているのに、喋るときはほぼ「俺」になっているのも一つの特徴です。
何となく、紳士になりたいのになれない(?)感じが伝わってきます。


不毛な生活を送る人たち

主人公の悪友である小津、8回生と言われている樋口師匠、主人公いわく「水もしたたるイイ男」であるにもかかわらず映画サークルに居座り続ける、師匠と同学年の城ヶ崎氏の3人です。

小津は樋口師匠の弟子で、樋口師匠と城ケ崎氏は自虐的代理代理戦争という謎の争いをしています。

一つだけ言えるのは、皆成績が超低空飛行だし将来の希望が見えないのに、堂々と楽しそうにふるまっているということです。

明石さん

大して出てきませんが、本作のヒロインです。

こんな女の子、実際の大学にそうそういないですね。
孤高を貫いているのに、主人公には意外な一面を見せてくれます。

かわいいしかっこいいし最高!!


羽貫さん

謎の歯科衛生士だそうです。樋口師匠や城ケ崎と同じ学年の卒業生らしく、要所要所で登場します。
主人公の心を惑わせてきますが、(多分)樋口師匠とくっついてます。
そういえば、今度映画化される『ペンギン・ハイウェイ』のお姉さんも歯科衛生士ですね。
作者の森見登美彦さんが思い入れを持っているんでしょうか。


小説とテレビアニメの違い

本作では主人公が自分の生活に納得するまでに、いくつものパラレルワールドを体験します。(違う解釈もできそうですが、客観的に見てそれが一番近そうです)
小説では全部で4回なのに、アニメでは1話~10話の10回、大学入学から話が始まります。
それにあたって(?)、毎回の結末が若干変更されていて、最終話だけ原作に沿った終わり方をしています。

以下いつも以上のネタバレなので白字→原作だと4回とも明石さんと恋仲になるのに、アニメだと最終話だけなんですね。
個人的にはテレビアニメの方が好きです。
ラストの特別感が増すので。
逆に言えば最後まで見ないと(というか途中を飛ばしてでも10話11話を見ないと)良さがわかりにくいんじゃないかなと。

 
それ以外にも、いくつかアニメでしかできない演出をしています。
登場人物の顔の変化とかは特に秀逸です。

「私」と小津の関係について

私」は自分と小津とは運命の黒い糸で結ばれている、一緒にいると自分がダメな人間になってしまうから早く縁を切りたいといったことを言っていますが最後に唯一の親友であったことに気づきます。
いくつものパラレルワールドを通して、様々なサークルに入ったり樋口師匠の弟子になったり…と一通りの経験をした「私」ですが、小津はそれらを一発ですべてこなしています。(だからこそどんなルートを選んでも小津と出会ってしまうわけですね)
対照的な描かれ方をしているのが面白いです。



最後に、「私」はやたらと嘆いていますが、正直こんな大学生活を送ってみたいです!(自堕落なところ以外)

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